近郊の精密部品工場の軽作業スタッフから街で働く派遣スタッフへ

A社の工場で協力会社の契約社員として働いた3年間は、
私の人生の中で一番平和で安定していて充実していた3年間でした。

書きたいエピソードは山ほどあります。

ですが、その数があまりにも多いので、
それはまた別の機会にします。

さて、当初の月~金日勤が、途中からは、
二交代の3班四勤二休という勤務体系に変わりましたが、
元同僚が言っていた通り、残業はほとんどなく、
あっても「2時間まで」というルールがあったので、
前職のように、いつになったら帰れるかわからない、
ということは一切なくなりました。

家族的にもこの時期が一番豊かな日々だったのではないかと思います。
仕事が面白く、同期の仲間たちとの交流も楽しいもので、
私はこのまま、一生ここで働いていてもいいと思っていました。

ところが、ある時期からメーンのラインを中国に移し始めるなど、
生産縮小の兆しが見え始め、解雇予告を渡される人達も出てきました。

そのときは、長男が中学3年生で、
まさに受験の年。
我が家は年子なので、翌年には、
次男の高校受験も控えています。

地元は公立高校が優位な土地柄なので、
私立は「滑り止め」という扱いになりますが、
万が一、公立高校に落ちて私立にでも行く羽目になったら、
今以上に稼がないとやっていけないのに、
(もちろん夫はいますが、諸事情により家計の負担は完全に等分)
そんな大事な時期なのに、職場の先行きが不透明であることに、
私は不安を覚え始めました。

そして、大好きで、もっともっと長く勤めたい仕事だったけれど、
長男が受験の時期に入る前に、
もう少し収入のいい仕事に転職することにしました。

いまや、正社員にこだわる気持ちは全くありません。
それに、工場で土日も一切関係なく、
早番はAM6:00から、遅番ならPM23:00終了という、
二交代の交代制勤務をやってきたので、
家族もそれにすっかり慣れて、
平日の日勤にこだわる気持ちもありません。

このとき私は39歳。
39歳の私が、今以上の収入を得るためには、
勤務条件が悪くて募集しても人がなかなか集まらず、
時給が高くて年齢制限もゆるい仕事にまず入り込むこと。

そう思いました。

そして、家族に配慮して、なるべく自宅の近くで働いてきた、
前職、前々職から通算で4年ぶりに、再び街中で働こうと決め、
今度は、派遣スタッフで働こうと考えて、
求人誌を探し始めました。

 

 

 

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